石馬寺は、美術的価値ある重要文化財を多数所蔵、伝説が今も残る聖徳太子建立のパワースポットです。

1400年の歴史を持つパワースポット、石馬寺

≪石馬寺の縁起≫


今からおよそ1400年前の推古2年(西暦594年)。
推古天皇の摂政であった聖徳太子が「霊地は近江国にある」と占い、駒の蹄に任せて永久に鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求めていました。
そして繖山(きぬがさやま)の麓辺りに来ると、駒は歩みを止めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲(※1)がたなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。
聖徳太子は「積年の望みをこの地に得たり」と深く感動して再び山を下ると、松の樹につないだ駒が傍の池に沈んで石と化していました。
この奇瑞に大いに霊気を感じ、直ちに山を『御都繖山(ぎょとさんざん)』と名付け寺を建立し、馬が石となった寺、つまり『石馬寺(いしばじ)』と号されたのです。
その際に記された聖徳太子直筆『石馬寺』三文字の木額(※2)、及び太子が駒をつないだ松の樹は本堂に安置しております。
また、この時に聖徳太子が書かれた額の文字を石碑やパンフレット当のロゴに使わせていただいております。(当HPでは右下部に使われています。)
また、石と化した『石馬』も寺に至る石段下の蓮池に現存しております。霊験として語り継がれる、石馬寺が持つ霊力・霊気をあなたの心や肌で感じて下さい。

※1 「瑞雲」 めでたい兆しとして出現する、紫色や五色の珍しい雲
※2 「聖徳太子直筆『石馬寺』三文字の木額」 聖徳太子直筆と伝わる額の文字を、石碑やパンフレット等のロゴに使用しており、当HPの画面右下部でも表示しております。


≪石馬寺の歴史≫


石馬寺は聖徳太子の建立以後、法相宗、天台宗と転宗し、近江源氏である佐々木氏の篤く帰依するところになりました。
しかし永禄11年(1568年)、織田信長の上洛に抵抗した佐々木承禎との戦いによる戦禍を受け、伽藍や院坊のことごとくが信長による兵火に遭い、昔日の壮観を二度と見ることが出来なくなりました。
さらに、豊臣氏が天下を取ると寺領及び山林を没収され、山主や僧徒は退散を命じられたのです。
慶長8年(1603年)、徳川氏により『石馬寺』が復興。
寛永11年(1634年)3代将軍家光公上洛にあたり、旧神埼郡能登川町(現東近江市)に造営された御茶屋御殿(伊庭御殿)を移築して大方丈としました(旧本堂)。
そして、正保元年(1644年)11月、宮城県松島にある瑞巌寺の雲居国師を中興祖として招き、臨済宗妙心寺派の寺院として現在に至ります。